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~に刺激[触発]される / 【働き方】【在り方】【音楽】【読書】【散歩】がテーマのブログです

スイミングレッスン振り返り<2017年4月③>

今週のスイミングレッスンの振り返りです。

▼前回の様子はこちらです。

http://inspirex.hatenadiary.jp/entry/2017/04/16/232518


【クロール】

・手は水から出る時は小指から、水へ入る時は親指から

・手を水に入れたらできるだけ前へのばす

・遠くの水をかくことで推進力がでる

・手が内側に入っている、肩の延長線上に手を着水させる



【背泳ぎのキック(手は下)】

・膝が曲がりそうになるので注意



【背泳ぎのキック(手は上)】

・手の平を外に向ける(つまり背泳ぎの手の形にする)

・手は上げすぎると体が沈むので注意

・手が固くなっている、脱力すること

・指を伸ばすこと



【背泳ぎ】

・肘が曲がりがち、肘を伸ばすこと

・呼吸が忘れがちなので、呼吸を意識すること



【まとめ】

・背泳ぎでは呼吸が忘れがちなので、呼吸を意識してするようにします

・肘・膝が曲がりがちなので、伸ばすことを意識します



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年に一回くらい観たくなる音楽DVDの話

前の休日に「FRAGILE」という音楽ユニットの『modest & proud』というDVDを観ました。

このDVDは2006年の作品で、もう忘れてしまったのですが、随分と前に購入したものです。

一年に一回位観たくなる時期がくるDVDです。

今回はフレットレスベース(注1)の音が唐突にききたくなったことから、このDVDを手にしました。


【FRAGILE】
・矢堀孝一(guitar)
・水野正敏(bass)
菅沼孝三(drums)


ベースの水野さんのサウンドですが、この音をききたかった!!

フレットレスベースの音は普段はきかないのですが、時々猛烈にききたくなります。

久しぶりにフレットレスベースの音をきいて満足しました。


ドラムの菅沼孝三さんは「手数王」の異名を持つスーパードラマーです。

あまりに凄すぎて何をやっているのかわかりません。

最近はこのような音楽から遠ざかっていたのですが、圧倒的なテクニックには、ある種の爽快感すら感じます。

自分は速く叩くことができないですし、演奏するのは手数が少なめなスタイル好きなのですが、なんだかんだ言いながらも、超絶テクニックに魅せられるのは好きだな、と思いました。


(注1)
フレットレスという名前通り、通常のアコースティックベースやエレクトリックベース(フレッテドベース)と異なり指板上にフレットがない。それ以外はフレッテッドベースと構造上の大きな違いは無く、指板上にフレットの代わりに目印となるラインが書かれている物も多い。ラインの引かれていない物はチェロやコントラバスと指板の見た目は殆ど変わらない。フレッテッドベース同様、エレクトリックのタイプとアコースティックのタイプ、多弦のタイプなど様々なバリエーションが存在する。
(Wikipediaより)



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スイミングレッスン振り返り<2017年4月②>

今週のスイミングレッスンの振り返りです。

▼前回の様子はこちらです。

http://inspirex.hatenadiary.jp/entry/2017/04/09/211250


【クロール】

・息継ぎをする時は頭を動かすのではなく、体をかたむける

・手が着水する時にできるだけ前で着水する

・遠くの水をグッと後ろに押すことで前に進む


【背泳ぎのキック(ビート板あり)】
【背泳ぎのキック(ビート板なし、手は下)】

・呼吸を忘れないこと

・呼吸は、鼻ではく口で吸う、を一定のリズムで行う

・キックのテンポは少し早くする

・キックで水を押さえる時を強くすると、お尻が下がりにくい

・視線がフラフラする、一定の場所をみる(重心が乱れるため)


【背泳ぎのキック(ビート板なし、手は上)】

・手の位置は肩の延長線上

・手の平を外に向ける(つまり背泳ぎの手の形にする)

・小指は水の中、親指は水の外におく


【背泳ぎ】

・手首に力が入っている

・呼吸をしっかりとすることで力が抜けるので、呼吸が大切

・お尻が下がらないように注意する

・体が外に広がらないようにする


【まとめ】

・クロールは着水時の手の位置が前になるように意識します

・背泳ぎは呼吸を意識するようにします

・背泳ぎでの姿勢は細かい部分を意識するようにします

・コーチの指示で水分を取るようにしましたが、終わった時の疲れが少ないように感じます




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嫌いなことは嫌いであると「あえて」意識するようにしています

自分は嫌いなことは嫌いであると「あえて」意識するようにしています。

なぜなら、自分にとっての最大の後悔は、嫌いなことを「好きだと思って」やっていたことだからです。

当時は自覚がなかったのですが、まわりの人が良いと言うことにあわせてしまうところがありました。

そして、人にあわせているうちに、嫌いなことを「好きだと思って」やるようになっていました。

そうこうしているうちに、まわりには人が増えて、なんとなくいい気になってきます。

それでも、本当は自分のしていることが「嫌い」ということを心のどこかで感じていたのかもしれません。

常に違和感を感じて、不機嫌な時間が増えていきます。

今になって考えてみると当たり前のことなのですが、嫌いなことを率先してやっていれば、不機嫌にもなります。

当時は常にまわりの人間に利用されているという感覚に苦しんでいました。

こういうことが続くて、意欲、というか、やる気、というか、そういった感覚がどんどん低下していくものです。

自分が嫌いなことばかりをしているのだから、無理もないことです。

そして我慢ができなくなり、まわりの人間と衝突して人間関係が終わってしまいました。

ただし、衝突したことに関しての後悔はあるのですが、人間関係が終わってしまったことに関しては後悔していません。

(スッと離れれば良かったと思っています)

その関係がある限り、自分が嫌いなことをやり続けることになるのであれば、そのような人間関係はなくなってしまった方がいいと思うからです。

また、そのような時に自分のまわりにいる人は、落ち着いて考えると、そもそもあまり好きではないようなタイプの人ばかりだったように思います。

今は嫌いなことをやらざるを得ない場合、無理に好きだと思うようにはせず、嫌いなことは嫌いだと意識するようにしました。

そのようにしていると、不思議と以前のような不機嫌に悩まされることがずっと減ったように思います。


このような経験から、嫌いなことは嫌いであると「あえて」意識するようにしました。



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音楽に関する自分の思い込みと、「思いやり」について考えてみた

音楽に関して、自分でも意識できてない思い込みがあったことに気が付きました。

その思い込みとは、「音楽で好評を得るには高い技術が必要」というものです。

何にびっくりしたのかというと、そのように考えていることに自分が気が付いていなかった、ということです。


そのことに気が付くと、練習があまり好きでなかった理由がわかりました。


自分は、技術が高くないと認めてもらえないという、ある種の「恐怖心」から練習していたのかもしれません。

それとは逆に、高い技術を得て人より優位に立ちたいという気持ちかもしれません。

どちらにしても練習は楽しくなさそうです。

また、そんな気持ちでいる人とは一緒に演奏したくはなりませんね(泣)


そして、この視点から考えてみると、音楽で好評を得ている人は「思いやりのある人」なのかもしれない、と思います。

「思いやりのある人」というよりは、「相手の反応を考えることができる人」の方が正しいのかもしれません。


「相手の反応を考えることができる人」は、考え方の起点が「自分」ではなく「相手」にあるのだと思います。


自分の場合演奏をしている時に、「こういう演奏をすると、自分のことをどう思われるだろう?」とか、「下手だと思われないか?」とか考えてしまいます。

「不安」であり「恐怖心」であります。

また、起点が「自分」にあると言えます。


対して、起点が「相手」にある人は、「どのような演奏をすれば、共演者に気持ちよく演奏してもらえるか」とか、「観客に楽しんでもらえるか」と考えているのではないのでしょうか。


そして、そのような考えであれば、例えば楽曲をコピーする際にもただ譜面通り演奏するのではなく、このタイミングでこのフレーズを演奏する意味はなんだろう、とか、このフレーズを演奏することでまわりからはどのような反応が得られるのだろう、ということを考えることができるのではないか、と思います。


学生の時に先輩から、「適当に演奏するのではなく、そのフレーズの意味を考えて演奏しろ」と言われたことがあるのですが、今ならその意味がわかるような気がします。



ここで書いたことが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、自分の気持ちに変化を感じて驚いていますので、思っていることを書いてみることにしました。



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人も海も山も褒める生き方を試してみようと思った話

昔は人の粗探しばかりしていました。

そして、頑張っている自分は正しいと思っていました。

そんな時には、嫌なことが起こったり、嫌な人と関わることになったりすることが多かったように思います。

今から考えるとあの頃はいつも腹を立てていたように思います。


しかし、ある時から人の粗探しをすることを控えるようにしました。

不思議なことですが、それから腹が立つことが起こったり、腹が立つ人に関わることが激減しました。

(ゼロにはなっていませんが・・・)



これは、「腹が立つことがあったから腹を立てていた」のではなく、「腹を立てたいから腹が立つことに関わっていた」ということなのでしょうか?


そうであれば、「人を褒めたい、誰か褒めさせてほしい」と思っていれば、「自分が褒めたくなるような人と会うことができる」、つまり、「自分のまわりは素敵な人ばかりになる」ということなのでしょうか?


そうであれば、最高ですね!!


ということで、しばらく人を褒めたい、誰か褒めさせて下さい、と思うようにしてみます。



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定時で仕事を終えて考えてみたこと

仕事の忙しさが一段落しましたので、定時退社をしています。


定時退社。

控えめに言って、最高です。

帰宅してから本も読めるしブログも書ける。

改めて考えてみると、こうあるべきなのだと思います。


もっと言うと、15時退社や午後からは退社になると、どれだけ素晴らしいのだろうと思います。


仕事は嫌いではないです。

むしろ好きな部分があると言ってもいいくらいです。


ただ、働いている時間を考えると、バランスが悪いなと思います。

もう少し働いている時間を短くして、読書などに時間をさけるようにしたいものです。



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