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~に刺激[触発]される / 【働き方】【在り方】【音楽】【読書】【散歩】がテーマのブログです

「〜と思う」という文章の書き方について考えてみたこと

Glocal Lifeさんのブログを読んだのですが、素晴らしい内容でしたので、いろいろと考えてみました。


http://www.glocallife.net/entry/uncertain-life



書籍やブログなどで文章術に関するものを読むと、

「〜だ、のように断定しましょう」

というような記載がほぼ必ずあると思います。


これがなかなかできずに、つい「思います」という表現になってしまいます。


自分がブログに書くことは、あくまでも自分の意見であるので、それを「〜だ」と断言してしまうことには抵抗を感じてしまうのです。


そんな訳で、「〜だ」と断言できない自分を悪く思いながら「思います」を使っていたので、Glocal Lifeさんのブログをみて安心しました。



また、「〜だ」の断言のことを考えながら、「わかりやすい説明」について考えてみました。

(*個人の意見です)


自分は「わかりやすい説明」というものに、疑問を感じています。


そもそも話題にしないといけないようなことは、様々なことが複雑に絡み合っていて難しいことだから取り上げられているのだと思います。


それを「わかりやすい説明」で本当に理解することができるのかを疑問に思っているのです。



「わかりやすい説明」をする為には、細かいことは省かれることになると思います。


しかし、その省いたことの中に重要なことが存在した場合、「理解」することはできるのかもしれませんが、その「理解」が本当に正しく理解したことになるのかが、どうしても疑問に思えるのです。


上記の様な理由で、「わかりやすい説明」というものに疑問を感じており、「複雑なこと」は「複雑なまま理解する」ことが必要なのではないかと考えています。



自分は「留保する」という考え方が好きです。


【留保】すぐその場で行わないで、一時差し控えること。


自分の専門分野でないことや詳しくないことに関して、無理に意見を述べる必要はないと思っています。

(*個人の意見です)



複雑で理解することが難しいことに関しては、「わかりやすい説明」で理解して意見を述べるのではなく、「複雑なまま」理解できるようになるまでは、「意見を留保しておく」ことが適していると思います。

(*個人の意見です)