時間は10分単位で考える論
自分の読書に関することなのですが、200ページ前後の本は読めるのですが、300ページをこえる本が読めないのが悩みでした。
それでも、連休を利用して読んでいた時もあるのですが、1年くらい前からそれもできなくなりました。
そういうことを考えている時にふと、一日10ページ読めば一ヶ月で300ページ読めるのでは、と思いつきました。
冷静に考えてみると当たり前のことですが、なぜかこの発想がありませんでした。
恐らく、読書はまとまった時間を用意しないといけない、一冊の本は短期間で読まないといけない、という二つの思い込みがあったのだと思います。
ですので、今は10分くらいを一単位として、10分時間がとれれば本を読むということを試しています。
そんなことを考えながら、一時間前後の時間を用意することが難しくなっていることについて考えてみました。
仮説なのですが、自分の時間の感覚が変わってきていて、一時間だと単位としては大きくなっているのではないかと思います。
何故時間の感覚が変わったのかというと、それはスマートフォンを使う生活に慣れてしまったからではないかと思います。
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』を育てたメガヒット編集者である、株式会社コルト代表取締役 佐渡島庸平さんの著書『ぼくらの仮説が世界をつくる』にこのような記述があります。
(前略)
では、最近の人はヒマなときに何をしているのか。日常を思い出すとわかるかと思いますが、スマートフォンでしょう。その時間は、おそらく5〜15分。「ヒマ」という感覚が細切れになっているのです。だから、「わざわざ」観に行く映画には、「ヒマだから」という表現はつかわない。
(引用終わり)
自分に起きている時間感覚の変化を考えると、上記の佐渡島さんの考察は鋭いところをついているのでは、と思います。
そんなことを考えながら、しばらくは10分くらいを一単位として、時間の使い方を考えるようにしてみようと思いました。