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~に刺激[触発]される / 【働き方】【在り方】【音楽】【読書】【散歩】がテーマのブログです

NPO法人尾道空き家再生プロジェクト主催のトークイベント『再生の軌跡〜記憶と風景〜』に行ってきました!!

11月4日(土)、広島県尾道市で行われたトークイベント『再生の軌跡〜記憶と風景〜』に参加してきました。

このイベントは11月4日(土)から12月3日(日)までの土日祝日に、通称尾道ガウディハウスで開かれている「渡邉義孝 旅のフィールドノート展『記録と記憶』」の関連企画として行われたイベントです。

2017年7月に10周年を迎えたNPO法人尾道空き家再生プロジェクト(以下空きP)の再生の軌跡を語るトークイベントです。

トークイベント中に書いたメモを中心に書いていますが、一部ネットや本で調べたことも書いています。


会場は再生途上の元旅館「松翠園(しょうすいえん)」の離れの50畳の大広間です。

松翠園大広間は2019年の完成を目指して再生中の場所ですが、イベント参加者に再生中の今の状態を見て欲しかったということであえて再生中の場所をトークイベントの会場としたそうです。

なお、松翠園大広間の再生は支援者を募集しているようで、寄付金一口が5万円となっています。

寄付された団体・個人のロゴを天井画として設置されるようです。



登壇者は以下の6名でした。


《小野環さん》
尾道大学美術学科講師
AIR ONOMICHI実行委員会代表
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト副代表

AIR アーティスト・イン・レジデンス
アーティストに滞在してもらいながら創作をしてもらう活動


《片岡八重子さん》
株式会社ココロエ一級建築事務所(岡山県)

空きPでは建築チーム
建造物の活用方法、法律関係、再生のプロセスなどを考える


《豊田雅子さん》
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト代表理事
2007年に尾道空き家再生プロジェクトを立ち上げる
(2008年6月にNPO法人化される)

尾道出身
大学進学で都会にでて尾道はよかったと気づいた
尾道は人の距離が近い
大学卒業後は海外旅行の添乗員となる
ヨーロッパの自然を生かしたまちづくり、古い街の歴史を活かしたまちづくりを訪れると尾道への思いが強くなる


《新田悟朗さん》
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト専務理事
尾道市向島出身


《真野洋介さん》
東京工業大学准教授

空きPでは建築チーム
時間と人の積み重ねで街ができる
再生プロジェクトの案件をひいてみる、歴史や街なみとの関連から案件を考える
プロジェクトのはじまりには立ち合い、横から見るようにする


《渡邉義孝さん》
一級建築士
尾道市立大学非常勤講師
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト理事
日本民俗建築学会正会員
風組・渡邉設計室主宰
著者に『風をたべた日々〜アジア横断旅日記』、共著に『セルフビルド/家をつくる自由』がある



【旧和泉家別邸 通称尾道ガウディハウス】

空きPの始まりの物件で、豊田さんが個人的に買い取る

昭和8年に一人の大工が三年をかけてつくった尾道市で箱物製作・販売を手がけていた和泉茂三郎氏が別宅として建設
10坪くらいの土地に建てられている
25年ほど空き家にされていた
解体するのに500万必要

洋館つき住宅
和風の家に洋館がついている
和の部分に洋がついている
飾りやねが多すぎる
数年後に国の登録有形文化財となる

同時期にアートイベント「AIR ONOMICHI」がスタートした
作家だけが決まっている
空き家でやりたい
つてがなくて困ったいた
2007年8月-9月の「AIR ONOMICHI 2007」へ制作および展示会場として丸ごと提供

片岡八重子さんは2008年に千葉から岡山へ移住
岡山の人を紹介してほしいといったらなぜか尾道の豊田さんを紹介された
NPOをたちあげる会議でガウディハウスの模型を作ってほしいと言われた
模型製作は平面図だけでは無理で、高さや窓の位置が必要
実測のために尾道に来ていたら、他の空き家を見に行ったりなどしていて気がつくと一緒にいることになっていた
大変だったのが屋根でいろんな方向に向いており、かつ二段になっている
仮模型をつくったらこれでいいと言われた、今に至る
(もっと作り込もうと思っていた)
その後も豊田さんに、まち歩きの講師をお願いされる

ガウディハウスでの最初のイベントが空き家談議

このペースではトークイベントが終わらない
ガウディは特別で思い入れがあるため話すことが多い

2013年 国の登録有形文化財
(みはらし亭も登録有形文化財に)

広島の魅力ある建築「100セレクション」に選定される
(みはらし亭も「100セレクション」に選定される)


【北村洋品店】

不動産屋にでてた物件
豊田さんがガウディハウスと同時期に購入

戦後に建てられた物件で材料もよくない
歴史的に価値のあるものでもないのになぜか心ひかれた
私(豊田さん)以外は壊してたと思う
再生したいという使命感のようなものがあった

二階までシロアリがいた
構造的に痛んでいた
近所からはお化け屋敷といわれた
荷物が多かった

この建物は「歴史」というようなおおげさなものではないが、「記憶」とよぶようなもの
町の記憶をとどめたい
みんなで家をつくる素材にしたい
ワークショップを何度も行った

渡邉さん「文化財として守るものと楽しく遊ぶものをわけて考える」

尾道の建物に多いドイツ壁
特に駅裏の洋館に多い

荷物をボランティアでだして家の状態がはじめてわかった
畳が腐っていた
畳を外すと井戸がでてきた
座敷のど真ん中に井戸がでてきた

つるくんと夜中にタイルで装飾
尾道在住の漫画家 つるけんたろう氏)

最後にアーティストに関わってもらった
大阪から移住してきたアーティスト 白水麻耶子さん

ワークショップを十回以上行った
「丸太を利用したアイデア天井仕上げ体験」
「タイルワークショップ」など

現在はNPOの事務所兼サロン
正式名称は「子連れママの井戸端サロン 北村洋品店」

建築の最初の現場
この物件をやったことで自信がついた
(東京から移住してきた漫画家 つるけんたろう氏もこの物件に関わり、左官技術を身につけたそうです)

北村洋品店が再生されるまでは常駐する場所がなかったのが、フラッと立ち寄ってプロジェクトの打ち合わせなどをする拠点ができた


【三軒家アパートメント】

昭和30年代に建てられた風呂なし・トイレ共同のアパート(旧楽山荘)
北村洋品店からだしたものの一時保管が最初
移住してきた作家やアーティストの卵の拠点に
工房やギャラリーやちょっとしたお店

大家さんから借りて、それを貸し出すという「サブリース」

(対空きP)現状回復なしで出て行く形式
残された内装をみて次の人が付け足していくイメージ

尾道に来た人が北村洋品店に行き、そこから三軒家アパートメントに行き、そこで知り合った人からオススメを紹介してもらって更に次の場所に行くという流れができた

流動性はいい
重なっていくのがいい

近年では住人どうしで話し合い、掃除やイベントなどを行う流れができている


【つるハウス】

2008年に東京から移住してきた漫画家 つるけんたろう氏の住居
尾道の友人の紹介で豊田さんに相談

ガウディハウスくらいしかなかったとき
空き家バンクもやっていない
豊田さんが個人で得た情報を提供
つるさんは毎日歩いて物件を探していた

尾道の駅裏
洋風長屋?洋館長屋?
シンメトリー
ちび・でか・ちびの三つの部分にわかれている
でかの半分から別の人の家

屋根と外壁は市の制度を利用した
まちなみ形成事業
図面をかき論文をつくり提出

尾道駅裏の景観にとって重要な要素となっているため、いいかげんななおしかたではだめ

つるさん個人の建物をなおすということと、景観にとって重要な要素である建物であるという二つの点から、本件は新しいスキームで行われた案件だった

東京からの移住者であるつるけんたろう氏の視点
「まちの魅力を地元が再認識することが大切」
「保存しようとする人がいるから人がくる」

みんなで引越しを手伝ったが、つるさんの荷物はまんがとレコードが多くて重かった


【森の家】

(最初に訪れた時の写真を見て)笑顔がない
だいたいどの物件も最初に見るときはあまりのひどさにみんな顔が暗くなる

落ち葉がすごい
落葉樹を集めて堆肥をつくることからスタートした

初の夏合宿
全国から学生さんが15人くらい参加
現みはらし亭 亭主である牧原秀雄さんがシアトルからやってきた

工事現場で(寝袋で)寝たりご飯を食べたりするような過酷な現場だった

風呂がなかったので五右衛門風呂をつくった
五右衛門風呂の製造元は広島県

子供達とツリーハウスをつくる
うどんを作って食べる
ボジョレーヌーボーの解禁日にフランス料理のシェフに料理をつくってもらい楽しんだ

再生はしたけど活用は決まっていなかった
今はアトリエとして使っている

どうやって使うかを考えながら再生するのは大切


【ツタの家】

長いこと空き家になっていて問題になっていた
所有者が見つからないので裁判した

設計依頼してみたが高くでた
新田悟朗さんが三軒家アパートメントが終わっていろいろやりたかった時期だった

若い子が空き家再生をするチャレンジの場所とすることにした
お金は光明寺さんがだしてくれた

片岡八重子さん監修で新田吾朗さんが中心となって再生した
AIR(アーティスト・イン・レジデンス)でも使っていたが、今は住宅として使われている

問題が発覚して始まったプロジェクトがいつのまにかポジティブにいった

光明寺さんのおかげ
光明寺さんはコミュニティのことを考えて動いてくれる


光明寺會舘】

お寺の境内内にある建物
労働基準監督署として建てられた
公民館的に使われていた

2008年見せてもらい2009年に改修

片岡八重子さんに相談
屋上の防水加工などを行った

子供のワークショップやアート制作の現場、イベント利用などに使われている


【アクアの森の小さな家】

2回目の夏合宿
25人参加


【坂の家】

風呂がなかった
キッチンはあったがボロかった
ゼロからキッチンとシャワーをつくる

移住希望者が試しにつかう場所
移住体験ハウス


【路地の家】

路地の拠点をつくろう
東京工業大学から再生に行った学生がハマってしまい尾道から帰ってこなくなった

イタリアのフィレンツェに修行してた靴職人さんが今は使っている

幸運な代替わり

空き家再生は再生したはいいけど使えないこともある


【あなごのねどこ】

所有者がまちの為に使ってほしいと希望していた
尾道大学などがつかっていた時もある

最初は断っていた

商店街の表側からは見えないところに奥行きのある空間があることを普通の人にみてもらいたかった

みはらし亭をやりたかったがハードルが高すぎて手をつけることができなかったこともあり、前段階のチャレンジとなった

つるさんにがっつり参加してもらった

二つの点で革命だと思った
今までは予算がつかず手弁当で参加していたのが、ちゃんと働いて稼げる場所となった
豊田さんのイメージが100パーセントだったのが、つるさんをはじめいろいろな人のコラボとなった

豊田さんは斜面から降りたがらなかった

空きPの一つのステージを超えた物件だった
はじめて借金した
事業計画もつくった

京都のゲストハウス六ヶ所くらいに分かれて宿泊した
そのころはゲストハウスは京都などしかなかった

今では年5000人に利用されており、2割は外国人

インスタ映えなどという言葉ができるとは当時は考えてなかった

併設のカフェのテーマは「旅と学校」
学校給食の器を使っているが若い人はかわいく感じているようだ

再生中にいい材料が丁度手に入ったりもした

ゲストハウスは新しい移住のかたちをつくった
旅人が気に入って何泊もしたり、ゲストハウスのヘルパーになったりする
移住する気はなかったのがゲストハウスで気に入って移住することになったケースもある


【旧堅山医院】

泌尿器科の診療室だったのを古本屋に活用
住居部分はあなごのねどこのスタッフのシェアハウスなどに活用


【みはらし亭】

空き家バンクに最初からあった物件であるが、あまりの大型物件のため手をつけることができなかった

あなごのねどこの運営で宿泊ノウハウを得ることができた
あなごのねどこはシーズン中は断らないといけない日があったりと、ニーズもある

坂と路地
路地のゲストハウスはあなごのねどこができた
次は坂のゲストハウス

重い重い腰をあげてとりかかる

2013年 国の登録有形文化財

資金繰が大変だった
クラウドファンディングも活用した

職人が中心となった
春夏に二回合宿をした
あなごのねどこに泊まっている人が参加してくれることもあった
土堂小学校の児童が参加してくれた
再生に関わった人は500人

山にもたせかける懸造(かけづくり)
(清水の舞台など)

国の登録有形文化財のため外観の四分の一以上を変える場合は届出が必要

屋根が大変だった
とった方策は海側は新品、山側はふるいかわらを使った
二千枚のかわらをおろして一枚一枚洗い、状態を確認して千枚を使った

大家さんが自分で住みたい時期もあった
東京で息子さんに会ったりした

みはらし亭の再生が完了した時には空きPの仲間は素晴らしいなと思った
本当にこの物件の再生ができた!!

再生完了後にみはらし亭を発信することにおわれた

ガウディハウスとみはらし亭の共通点
いびつな形で斜面にはりついている

みはらし亭は戦後旅館になっていたために用途変更をしなくてよかった

真野洋介さんを中心に茶園(さえん)研究会を立ち上げた

*茶園(さえん:別荘建築)

学会で発表したことはない


【松翠園(しょうすいえん)大広間】

このトークイベントの会場
10年くらい前までは使われていた
大家さんもどうしたらいいかわからない

旅館部もひどいが一旦旅館部は置いて大広間の再生からはじめることにした

平地の少ない尾道には珍しい中心市街地の50畳という大空間と建築的にも贅を尽くした場所

廊下に一本ものの木が三枚使われているがどんな巨木だったのか

支輪折上(しりんおりあげ)大天井

支援者を募集中、寄付金一口が5万円

寄付された団体・個人のロゴを天井画(日本画)にして設置

60センチ角の広告216枚が天井を埋め尽くす



【感想】

当初一時間半を予定していたトークイベントですが、予定を延長して二時間となりました。
10年間の軌跡を一時間半で語るのは難しいようで、実際に話を聞いて内容の濃さからもっと時間が必要なんだろうなと思いました。

最初は豊田さん一人で始めた運動が、10年の間に空き家再生をやっていくうちに空き家再生の技術を蓄積していき仲間が増え、仲間のうちで若い方たちが力をつけていく軌跡が印象的でした。

空き家再生の際に物件の再生だけでなく、まわりの街並みとの調和をどうするか、歴史の中で積み重なってきたものをどのように扱うか、ということを考える必要があるのだな、と思いました。

空き家再生の際に合宿やワークショップなどをすることで、空きPのメンバーだけでなく地域の人達や関心のある人達を巻き込んでいった点が印象的でした。

建築に関して知らない状態で見てしまうと流してしまうことも、知識を教えてもらうといっきに面白くなるものだなと思いました。



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