「生産性」を上げる『能力』
A1理論さんのブログで最初に読んだものです。
http://okite.hatenadiary.jp/entry/seisanseihanouryoku
この記事にはこうあります。
「頑張って」生産性を上げて来たんじゃなくて、自分の『能力』でもって『生産性』を上げて来たんじゃないかな?
びっくりしました。
生産性を上げるという能力、という発想は自分にはありませんでした。
ここでの「能力」とは「才能」という意味あいでとらえていますが、自分は才能に関して、
・本人が意識せずにできること
・意識せずにできることなので、
本人にはつまらないと感じることがある
くらいの認識でいます。
しかし、生産性をあげることも能力のひとつという認識にはたどり着けませんでした。
(頑張ってあげるものという認識でした)
A1理論さんは次ねように続けます。
「生産性を上げる『能力』」
を持たない個体が、無理やり『生産性』を上げようとしても、徒労に終わるんじゃないかな???
「生産性」を上げる『能力』がある人間だけが、「生産性」を上げればいいんじゃないかな?
って、僕はいつも思う。
世の中、『努力』や『根性』ではないと僕は思う。
すべては自分がどういう『能力』を持っているか?
だと思う。
じゃあ、
「『生産性』を上げれる人間こそが存在意義があるのか?」
と聞かれると、僕の意見は、
「ノー!!」
だ。
自分がいつも考えてることと似ているんですよ。
才能って各人がそれぞれもってるもので、みんな違うんだと思っています。
ただ、自分には当たり前すぎて自分の才能の価値が自分ではわからないまま、世間で良いとされてる(けど自分には苦手な)ことを「頑張って」しまうから辛くなるのだと思います。
この記事を読んで以来A1理論さんの考え方がきになり、次々に読んでいくことになりました。