教えることは「待つ」ということである、と思ったことを書いてみる
数年前からスイミングのグループレッスンを受けています。
(▼最近のレッスンです)
http://inspirex.hatenadiary.jp/entry/2017/01/22/224745
水泳は小学校以来、しかも小学校の時もたいして泳げるわけではありませんでしたので、水に浮くことから始めました。
そんな自分でも、なんとかクロール(らしきこと)や、背泳ぎ(らしきこと)ができるようになりました。
今もなんですが、レッスンでは何度も同じようなことをコーチに言われます。
できるようになったつもりでも、水の中ではなかなか思っているように体は動いていないようです。
(コーチに指摘されるまで、自分の体がそのようになっている自覚すらないことはよくあります)
指摘されて、やってみて、また指摘される。
この繰り返しです。
進歩は遅いのですが、それでも、続けていくと少しずつ上達するものです。
このようなことを通じて、
「教える」ということは「待つ」ことだ、
と思うようになりました。
コーチは毎週同じようなことを言われます。
でも、言われていることをできるようになるのは、生徒である自分の役割です。
生徒である自分が、言われていることをつかむまで何回でも指摘してくれます。
水泳を教わるまで、このことがわかりませんでした。
人に教えないといけない状況になると、
できるようになってくれないとイライラする、
とか、
相手の状況を考えず、次々に新しいことを教える、
など、よくありました。
水泳を習うようになってから考えると、その教え方ではダメだったということがわかりました。
教える側は教わる側ができるようになるまで、同じことを言いながら「待つ」ことをしないといけないのだな、と思うようになりました。
【まとめ】
・教える立場にある人も、教わる立場になると学ぶことが多い
・教えることは「待つ」ということ。できるようになるまで見守る姿勢が大切
(▼こちらにもスイミングレッスンから得た気づきを書いています)
http://inspirex.hatenadiary.jp/entry/2017/01/17/200237