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音楽に関する自分の思い込みと、「思いやり」について考えてみた

音楽に関して、自分でも意識できてない思い込みがあったことに気が付きました。

その思い込みとは、「音楽で好評を得るには高い技術が必要」というものです。

何にびっくりしたのかというと、そのように考えていることに自分が気が付いていなかった、ということです。


そのことに気が付くと、練習があまり好きでなかった理由がわかりました。


自分は、技術が高くないと認めてもらえないという、ある種の「恐怖心」から練習していたのかもしれません。

それとは逆に、高い技術を得て人より優位に立ちたいという気持ちかもしれません。

どちらにしても練習は楽しくなさそうです。

また、そんな気持ちでいる人とは一緒に演奏したくはなりませんね(泣)


そして、この視点から考えてみると、音楽で好評を得ている人は「思いやりのある人」なのかもしれない、と思います。

「思いやりのある人」というよりは、「相手の反応を考えることができる人」の方が正しいのかもしれません。


「相手の反応を考えることができる人」は、考え方の起点が「自分」ではなく「相手」にあるのだと思います。


自分の場合演奏をしている時に、「こういう演奏をすると、自分のことをどう思われるだろう?」とか、「下手だと思われないか?」とか考えてしまいます。

「不安」であり「恐怖心」であります。

また、起点が「自分」にあると言えます。


対して、起点が「相手」にある人は、「どのような演奏をすれば、共演者に気持ちよく演奏してもらえるか」とか、「観客に楽しんでもらえるか」と考えているのではないのでしょうか。


そして、そのような考えであれば、例えば楽曲をコピーする際にもただ譜面通り演奏するのではなく、このタイミングでこのフレーズを演奏する意味はなんだろう、とか、このフレーズを演奏することでまわりからはどのような反応が得られるのだろう、ということを考えることができるのではないか、と思います。


学生の時に先輩から、「適当に演奏するのではなく、そのフレーズの意味を考えて演奏しろ」と言われたことがあるのですが、今ならその意味がわかるような気がします。



ここで書いたことが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、自分の気持ちに変化を感じて驚いていますので、思っていることを書いてみることにしました。



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