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~に刺激[触発]される / 【働き方】【在り方】【音楽】【読書】【散歩】がテーマのブログです

寒くなったので意識して睡眠時間を確保するようにしています

久しぶりのブログ更新です。

寒くなってきてから意識して睡眠時間を確保するようにしています。

睡眠不足の状態が続いていたのですが、寒くなってくるにつれてこれではもたないなと思うようになり、意識して睡眠時間を確保するようにしました。

睡眠時間を確保することを決めてからは、やりたいことがあっても決めた時間になるとやめるようにしています。

自分にとって何が大切かを決めてしまったら、それ以外のことは思い切って諦めてしまうことも必要だと思います。

睡眠時間を確保するようになって、仕事をしている時間が過ごしやすくなりました。

睡眠時間を確保する前に比べて仕事に集中することができ、気分的にも余裕を持って取り組めるようになったと思います。

少なくとも暖かい季節になるまでは睡眠時間は意識して確保するようにしようかと思います。

これからもっと寒くなると思うので、体調管理には気をつけようと思います。



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NPO法人尾道空き家再生プロジェクト主催 旅する建築家 渡邉義孝による連続レクチャー『辺境探訪18 記録と記憶 フィールドノート論 その2』に行ってきました!!

11月10日(金)、広島県尾道市で行われた「旅する建築家 渡邉義孝による連続レクチャー『辺境探訪18 記録と記憶 フィールドノート論 その2』」に参加してきました。

会場は尾道ゲストハウスあなごのねどこ「あくびカフェー」です。

講師は11月4日(土)に行われたトークイベント『再生の軌跡〜記憶と風景〜』にも登壇者されていた渡邉義孝さんです。

《渡邉義孝さん》
一級建築士
尾道市立大学非常勤講師
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト理事
日本民俗建築学会正会員
風組・渡邉設計室主宰
著者に『風をたべた日々〜アジア横断旅日記』、共著に『セルフビルド/家をつくる自由』がある

連続レクチャー『辺境探訪 18』とありますが、このシリーズは2013年1月25日に第1弾が行われ、今回で18回目となるレクチャーイベントです。
(第1弾のタイトルは『ビルマ北部未開放区への旅』です)

このシリーズは2017年7月28日に行われた『辺境探訪17 アゼルバイジャン Vol.3』に参加しましたので、今回は2回目の参加となります。

「フィールドノート論」というテーマでは2013年に「その1」のレクチャーが行われているようで、今回は「その2」のレクチャーでした。

(渡邉義孝さんのフィールドノートについては2017年11月4日(土)から12月3日(日)までの土日祝日に、通称尾道ガウディハウスで「渡邉義孝 旅のフィールドノート展『記録と記憶』」が開催されています)



「記録と記憶がテーマ」

民俗学者 宮本常一の言葉
「記録されたもののみが記憶される」

共有したい

旅とフィールドノートについて
旅日記
A5ノート
日付を入れる


20代のころは鉄道の保線(ほせん)の仕事をしていた
バラスト(砂利)の入れ替えなど

その後型枠大工の仕事をする
コンクリートを流し込む型枠の加工・組み込み

27才の時に神楽坂の設計事務所を訪ねる
型枠大工の仕事をしていくうちに、自分で設計したほうが面白いのではないかと思うようになった

鈴木喜一
鈴木喜一建築計画工房
1階が画廊、2階が設計事務所になっている
登録有形文化財
画廊と設計事務所の仕事を週の半分ずつで両方やっいた

建築士になるために専門学校に行こうと思っていた時に言われたこと
建築士になりたければ、旅をせよ
建築士になりたければ、文章力をみがけ

人間の生活がそこにある
一日一枚の絵を書くように指示された

「一年のうち三ヶ月は外国へ行け。そのための旅費は支給する」
その際の条件は「毎日絵を描くこと、ノートをつけること」

鈴木喜一「建築は言語化されなければならない」
意味は分からなかった

紀行文は「つまらない」もの
だからよほど文書がうまくないと難しい
つまらない文書をおもしろく読ませる

何人かのグループで外国へ行く
昼は絵を描いたりまちの人と仲良くなる
夜は描いた絵の品評会を行う
物語が詰まっているかをみる

旅の方針は「予定調和を崩していく」
ルートは決めるが現地で崩す

毎日絵を描いていると苦痛にならなくなり、むしろ楽しくなってくる
こういった旅をするうちにノートの方向性が定まった


1994年にフィンランドにあるアルヴァ・アールト(アルヴァル・アールト)のサユナットサロ(セイナッツァロ)の役場に行く

*アルヴァ・アールト(アルヴァル・アールト):フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的な建築家、都市計画家、デザイナー

メジャーを持ち歩いてみていた
外からは普通に見えるが、光の引き込み方がすごい

20年以上前に行った場所だが、ノートにかいた技術をみると鮮明に思い出せる

記録しておかないといけないな


中国安徽(あんき)省
綺麗な川

火の神をまつるかまど
違和感
メモをする

たぶんもうないと思う
だから記録か必要

モース(大森貝塚の発見者)も記録をすることを勧めていた


興味を持つこと、鋭敏であること
旅にでると多かれ少なかれ鋭敏になる
怖さと鋭敏
バスターミナルをおりた途端にタクシーにとりかこまれる
まわりに近寄る人間に対して鋭敏になる
いつも感じない神経が高ぶる
動物は鋭敏
動物はちょっとした判断ミスが死につながるから、ちょっとしたしぐさにも鋭敏
ノートにかくことはその延長


今 和次郎(こん わじろう)
民俗学研究者
今を記録しようと提唱
調査をして手書きでビジュアル化する
日本建築士会会長も務める
柳田國男の調査に同行していた時期もあるが後に離れる
考現学(こうげんがく)」を提唱
左:平面図 右:展開図
ちゃんとした図面を書くのだなと思った


ル・コルビュジエ
(スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家)
白いお豆腐のような建築
ノートに色をつけていいのね
水彩
技術的なこと
後期になると新たな表現に達するが、ノートをみると長い間封印していた若い時のことが後期にでてきたのではないかと感じられた


梅棹 忠夫(うめさお ただお)
民族学者(俗ではなく族、エスノロジー)
ノートに音符をかく
音符で鳥の鳴き声をかく
腕輪や洋服など


伊東 忠太(いとう ちゅうた)
建築家
築地本願寺などの作品を残す
動物や化け物などをいれる


宮本 常一(みやもと つねいち)
民俗学者
後年には観光学研究のさきがけとしても活躍
鈴木喜一の先生


鈴木喜一のノート
シンプル 余白が多い
ノートに旅が終わるとタイトルをつける
(ノートにタイトルをつける意味)旅が終わった後に旅を見返して旅の意味を考える
旅を自分の中で消化する
牛の四つの胃袋のように反芻して消化する
ノートにはいろいろなものを貼れ


渡邉義孝さんのひいおじいさん
郷土史
京都で民間人ではじめてパスポート
日露戦争のあと大連へ


第7次台湾旅
日式建築
日本統治時代

フェイスブックに書いたら高校の美術の先生が迎えにきてくれた
真っ先にお互いの絵をかく
持っているものをかく
今 和次郎(こん わじろう)を知っていた
何度も日本にきており、自分(渡邉義孝さん)の講義も尾道大学できいていた
あらゆるものに興味をもつ
日本でペンをかたっぱしから買ってノートに書いていた


博物学」から「考現学(こうげんがく)」に流れて「路上観察学」に
「いま」を観察する目
「いま」を記録する目
「見えないもの」と「見えるもの」
「見えるもの」は「なまもの」と「ぶっけん」にわかれる


鋭敏
(日本人は)肌の色が違うと身構える
観光地でないところに行くと現地の人が近づいてきた
話をしてみると、外国人が来ることはなくて珍しいからみんなで見に来たとのこと
鋭敏さの中から本当の出会いがあった

違和感
デンマークのリーベという町は川が近かった
ノートに描いたが、描いてなかったら忘れていた


【フィールドノートの素材】

50枚のA5ノート
なくなったら現地で買う
背表紙があったほうがいい

見開きに旅が終わったあとに一覧をつくる
人に見せるときに便利

裏表紙に仲良くなるための合言葉
あいさつなどをかいておく
いつ建てられた、素材は何、は必ず書く
指で指して伝える

製図用のペン
(定規を当てて線を引きやすいように先が長くなっている)
蛍光ペン
絵の具

本当にその場でかいているの?とよく質問される
会話はメモ帳に書く
ボイスレコーダーで録音する
後でノートにまとめる
ちょっとしたやりとりはノートに直接書く

修正テープ
ホッチキス
定規
(書くときにはかる、カッターとしてつかう)
飛行機には小さなカッターも持ち込みできないから

巻尺
レーザー距離計

今 和次郎(こん わじろう)のノートを見て黒塗りを取り入れる

ペンにするべき
見栄えがいい
目に飛び込んでくるパワーがある

黒ベタ白抜き
思ったよりも細くなることに注意
地図をかくときによい
一番重要なところでつかう

明朝体っぽく書く
かげをつけてかく

白いものを貼るとまがぬける
色をぬる

背景をぬるとうきたつので効果的

対角線上(左上右下)に絵をおく
強い絵 黒い絵
対角線上でない場合は出来るだけはしにかく

字が綺麗だと言われる
丁寧に書いたとしても五分とか十分の差
将来見返すときに綺麗なほうがいいので十分程度の差であれば時間をかけるようにする

切符は必ず貼る

名刺 チケット ICカード
濡らして剥がす、表紙だけを貼る

旅の中では時間がない
写真を撮って宿でかく
落書き程度でいいからノートにかく
かかないと忘れてしまう

地図をできるだけ描く

10年後に自分の記憶をたどる時に効いてくる
古いものを大切にしない場所ではなくなっていることが多い

今興味がないことも書く

絵に書いて名前を聞く 食べ物

デジカメ
レコーダーで録音

人の顔
楽器、寸法もかく
民族衣装

家系図、年齢もかく
初婚や初産、どっちの親と同居などがわかるようになる

アルメニアで泊まったところはソ連時代の建物だった
宿のおじさんの絵を書いたら自分(渡邉義孝さん)の絵も描くように言われた
恐らく今でも残っていると思う

人の顔はその場でかく
それ以外はコーヒーを飲みながらかく
時間がない時は帰りの飛行機でかくこともある


モノの名前を知らないとだめ
食べ物で例える
料理に入っている葉っぱが苦手だった
ある時おいしく感じるようになった
名前が「パクチー」だということを知る
パクチーを使った料理が次々と目に入るようになった

障子にもいろんな名前がある
名前を知っていると文章を書くときに有利
専門家にしか書けないような文章になる

ブルネッレスキのイタリア フィレンツェにある捨て子養育院
*フィリッポ・ブルネッレスキ:ルネサンス最初の建築家
建物に円形の飾りがついている
メダリオン」という名前であることを知る
名前を知るとかきたくなる
猛烈に知りたくなる


27才の時にヨーロッパの建築を見てまわる
ヨーロッパ建築600選と自分のノートをトレーシングペーパーに移したものを持っていった

長谷川 堯(はせがわ たかし)
日本の建築史家、建築評論家
アール・ヌーヴォー
アーツ・アンド・クラフツ
情緒的な文章を書く

イギリスを訪れたさいに長谷川 堯(はせがわ たかし)の著書である『建築逍遥』を持って行った
『建築逍遥』と同じ旅をした
同じ場所で同じことを感じるようにした
20か所くらいまわった

オールセインツ教会を訪れたさいに賛美歌の歌集に一冊一冊異るブックカバーがされているのをみた
『建築逍遥』にはその記述はなかった
自分の言葉が溢れてきて、ノートにはじめて自分の言葉で書いた
これがきっかけになり長谷川 堯(はせがわ たかし)の本はいいかなと思うようになった
いろいろとふっきれて、本を日本に送った

旅の終わりにふりかえりの地図を書くとよい


フォトブックを作って現地でお世話になった人へのお礼に送る
過去のフィールドノートを持っていく

ノートをかくといろんな出会いがある


旅においてノートをとることは記憶に残すこと
等身大の自分と向き合うこと



【感想】

渡邉義孝さんによるレクチャー『辺境探訪』シリーズは、2017年7月28日に行われた『辺境探訪17 アゼルバイジャン Vol.3』に続いて2回目の参加となりました。

前回のレクチャーの時もでしたが、自分の知らない分野の話なのでついていくことに必死という感じでした。

自分の知らない分野の話は想像したこともないような話ばかりで大変刺激的です。

今回はイベントレポートをブログにまとめるにあたって、人名や用語をいろいろ調べました。

その際にレクチャーで挙げられていた建築の写真を見ることもできました。

いつものことですが、自分の知らなかったことを新しく知ることはとても楽しく刺激的です。

旅も建築も今までの自分にとっては縁遠いものでありましたが、こういった形でお話しを伺えることは楽しいものだと思いました。



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NPO法人尾道空き家再生プロジェクト主催のトークイベント『再生の軌跡〜記憶と風景〜』に行ってきました!!

11月4日(土)、広島県尾道市で行われたトークイベント『再生の軌跡〜記憶と風景〜』に参加してきました。

このイベントは11月4日(土)から12月3日(日)までの土日祝日に、通称尾道ガウディハウスで開かれている「渡邉義孝 旅のフィールドノート展『記録と記憶』」の関連企画として行われたイベントです。

2017年7月に10周年を迎えたNPO法人尾道空き家再生プロジェクト(以下空きP)の再生の軌跡を語るトークイベントです。

トークイベント中に書いたメモを中心に書いていますが、一部ネットや本で調べたことも書いています。


会場は再生途上の元旅館「松翠園(しょうすいえん)」の離れの50畳の大広間です。

松翠園大広間は2019年の完成を目指して再生中の場所ですが、イベント参加者に再生中の今の状態を見て欲しかったということであえて再生中の場所をトークイベントの会場としたそうです。

なお、松翠園大広間の再生は支援者を募集しているようで、寄付金一口が5万円となっています。

寄付された団体・個人のロゴを天井画として設置されるようです。



登壇者は以下の6名でした。


《小野環さん》
尾道大学美術学科講師
AIR ONOMICHI実行委員会代表
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト副代表

AIR アーティスト・イン・レジデンス
アーティストに滞在してもらいながら創作をしてもらう活動


《片岡八重子さん》
株式会社ココロエ一級建築事務所(岡山県)

空きPでは建築チーム
建造物の活用方法、法律関係、再生のプロセスなどを考える


《豊田雅子さん》
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト代表理事
2007年に尾道空き家再生プロジェクトを立ち上げる
(2008年6月にNPO法人化される)

尾道出身
大学進学で都会にでて尾道はよかったと気づいた
尾道は人の距離が近い
大学卒業後は海外旅行の添乗員となる
ヨーロッパの自然を生かしたまちづくり、古い街の歴史を活かしたまちづくりを訪れると尾道への思いが強くなる


《新田悟朗さん》
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト専務理事
尾道市向島出身


《真野洋介さん》
東京工業大学准教授

空きPでは建築チーム
時間と人の積み重ねで街ができる
再生プロジェクトの案件をひいてみる、歴史や街なみとの関連から案件を考える
プロジェクトのはじまりには立ち合い、横から見るようにする


《渡邉義孝さん》
一級建築士
尾道市立大学非常勤講師
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト理事
日本民俗建築学会正会員
風組・渡邉設計室主宰
著者に『風をたべた日々〜アジア横断旅日記』、共著に『セルフビルド/家をつくる自由』がある



【旧和泉家別邸 通称尾道ガウディハウス】

空きPの始まりの物件で、豊田さんが個人的に買い取る

昭和8年に一人の大工が三年をかけてつくった尾道市で箱物製作・販売を手がけていた和泉茂三郎氏が別宅として建設
10坪くらいの土地に建てられている
25年ほど空き家にされていた
解体するのに500万必要

洋館つき住宅
和風の家に洋館がついている
和の部分に洋がついている
飾りやねが多すぎる
数年後に国の登録有形文化財となる

同時期にアートイベント「AIR ONOMICHI」がスタートした
作家だけが決まっている
空き家でやりたい
つてがなくて困ったいた
2007年8月-9月の「AIR ONOMICHI 2007」へ制作および展示会場として丸ごと提供

片岡八重子さんは2008年に千葉から岡山へ移住
岡山の人を紹介してほしいといったらなぜか尾道の豊田さんを紹介された
NPOをたちあげる会議でガウディハウスの模型を作ってほしいと言われた
模型製作は平面図だけでは無理で、高さや窓の位置が必要
実測のために尾道に来ていたら、他の空き家を見に行ったりなどしていて気がつくと一緒にいることになっていた
大変だったのが屋根でいろんな方向に向いており、かつ二段になっている
仮模型をつくったらこれでいいと言われた、今に至る
(もっと作り込もうと思っていた)
その後も豊田さんに、まち歩きの講師をお願いされる

ガウディハウスでの最初のイベントが空き家談議

このペースではトークイベントが終わらない
ガウディは特別で思い入れがあるため話すことが多い

2013年 国の登録有形文化財
(みはらし亭も登録有形文化財に)

広島の魅力ある建築「100セレクション」に選定される
(みはらし亭も「100セレクション」に選定される)


【北村洋品店】

不動産屋にでてた物件
豊田さんがガウディハウスと同時期に購入

戦後に建てられた物件で材料もよくない
歴史的に価値のあるものでもないのになぜか心ひかれた
私(豊田さん)以外は壊してたと思う
再生したいという使命感のようなものがあった

二階までシロアリがいた
構造的に痛んでいた
近所からはお化け屋敷といわれた
荷物が多かった

この建物は「歴史」というようなおおげさなものではないが、「記憶」とよぶようなもの
町の記憶をとどめたい
みんなで家をつくる素材にしたい
ワークショップを何度も行った

渡邉さん「文化財として守るものと楽しく遊ぶものをわけて考える」

尾道の建物に多いドイツ壁
特に駅裏の洋館に多い

荷物をボランティアでだして家の状態がはじめてわかった
畳が腐っていた
畳を外すと井戸がでてきた
座敷のど真ん中に井戸がでてきた

つるくんと夜中にタイルで装飾
尾道在住の漫画家 つるけんたろう氏)

最後にアーティストに関わってもらった
大阪から移住してきたアーティスト 白水麻耶子さん

ワークショップを十回以上行った
「丸太を利用したアイデア天井仕上げ体験」
「タイルワークショップ」など

現在はNPOの事務所兼サロン
正式名称は「子連れママの井戸端サロン 北村洋品店」

建築の最初の現場
この物件をやったことで自信がついた
(東京から移住してきた漫画家 つるけんたろう氏もこの物件に関わり、左官技術を身につけたそうです)

北村洋品店が再生されるまでは常駐する場所がなかったのが、フラッと立ち寄ってプロジェクトの打ち合わせなどをする拠点ができた


【三軒家アパートメント】

昭和30年代に建てられた風呂なし・トイレ共同のアパート(旧楽山荘)
北村洋品店からだしたものの一時保管が最初
移住してきた作家やアーティストの卵の拠点に
工房やギャラリーやちょっとしたお店

大家さんから借りて、それを貸し出すという「サブリース」

(対空きP)現状回復なしで出て行く形式
残された内装をみて次の人が付け足していくイメージ

尾道に来た人が北村洋品店に行き、そこから三軒家アパートメントに行き、そこで知り合った人からオススメを紹介してもらって更に次の場所に行くという流れができた

流動性はいい
重なっていくのがいい

近年では住人どうしで話し合い、掃除やイベントなどを行う流れができている


【つるハウス】

2008年に東京から移住してきた漫画家 つるけんたろう氏の住居
尾道の友人の紹介で豊田さんに相談

ガウディハウスくらいしかなかったとき
空き家バンクもやっていない
豊田さんが個人で得た情報を提供
つるさんは毎日歩いて物件を探していた

尾道の駅裏
洋風長屋?洋館長屋?
シンメトリー
ちび・でか・ちびの三つの部分にわかれている
でかの半分から別の人の家

屋根と外壁は市の制度を利用した
まちなみ形成事業
図面をかき論文をつくり提出

尾道駅裏の景観にとって重要な要素となっているため、いいかげんななおしかたではだめ

つるさん個人の建物をなおすということと、景観にとって重要な要素である建物であるという二つの点から、本件は新しいスキームで行われた案件だった

東京からの移住者であるつるけんたろう氏の視点
「まちの魅力を地元が再認識することが大切」
「保存しようとする人がいるから人がくる」

みんなで引越しを手伝ったが、つるさんの荷物はまんがとレコードが多くて重かった


【森の家】

(最初に訪れた時の写真を見て)笑顔がない
だいたいどの物件も最初に見るときはあまりのひどさにみんな顔が暗くなる

落ち葉がすごい
落葉樹を集めて堆肥をつくることからスタートした

初の夏合宿
全国から学生さんが15人くらい参加
現みはらし亭 亭主である牧原秀雄さんがシアトルからやってきた

工事現場で(寝袋で)寝たりご飯を食べたりするような過酷な現場だった

風呂がなかったので五右衛門風呂をつくった
五右衛門風呂の製造元は広島県

子供達とツリーハウスをつくる
うどんを作って食べる
ボジョレーヌーボーの解禁日にフランス料理のシェフに料理をつくってもらい楽しんだ

再生はしたけど活用は決まっていなかった
今はアトリエとして使っている

どうやって使うかを考えながら再生するのは大切


【ツタの家】

長いこと空き家になっていて問題になっていた
所有者が見つからないので裁判した

設計依頼してみたが高くでた
新田悟朗さんが三軒家アパートメントが終わっていろいろやりたかった時期だった

若い子が空き家再生をするチャレンジの場所とすることにした
お金は光明寺さんがだしてくれた

片岡八重子さん監修で新田吾朗さんが中心となって再生した
AIR(アーティスト・イン・レジデンス)でも使っていたが、今は住宅として使われている

問題が発覚して始まったプロジェクトがいつのまにかポジティブにいった

光明寺さんのおかげ
光明寺さんはコミュニティのことを考えて動いてくれる


光明寺會舘】

お寺の境内内にある建物
労働基準監督署として建てられた
公民館的に使われていた

2008年見せてもらい2009年に改修

片岡八重子さんに相談
屋上の防水加工などを行った

子供のワークショップやアート制作の現場、イベント利用などに使われている


【アクアの森の小さな家】

2回目の夏合宿
25人参加


【坂の家】

風呂がなかった
キッチンはあったがボロかった
ゼロからキッチンとシャワーをつくる

移住希望者が試しにつかう場所
移住体験ハウス


【路地の家】

路地の拠点をつくろう
東京工業大学から再生に行った学生がハマってしまい尾道から帰ってこなくなった

イタリアのフィレンツェに修行してた靴職人さんが今は使っている

幸運な代替わり

空き家再生は再生したはいいけど使えないこともある


【あなごのねどこ】

所有者がまちの為に使ってほしいと希望していた
尾道大学などがつかっていた時もある

最初は断っていた

商店街の表側からは見えないところに奥行きのある空間があることを普通の人にみてもらいたかった

みはらし亭をやりたかったがハードルが高すぎて手をつけることができなかったこともあり、前段階のチャレンジとなった

つるさんにがっつり参加してもらった

二つの点で革命だと思った
今までは予算がつかず手弁当で参加していたのが、ちゃんと働いて稼げる場所となった
豊田さんのイメージが100パーセントだったのが、つるさんをはじめいろいろな人のコラボとなった

豊田さんは斜面から降りたがらなかった

空きPの一つのステージを超えた物件だった
はじめて借金した
事業計画もつくった

京都のゲストハウス六ヶ所くらいに分かれて宿泊した
そのころはゲストハウスは京都などしかなかった

今では年5000人に利用されており、2割は外国人

インスタ映えなどという言葉ができるとは当時は考えてなかった

併設のカフェのテーマは「旅と学校」
学校給食の器を使っているが若い人はかわいく感じているようだ

再生中にいい材料が丁度手に入ったりもした

ゲストハウスは新しい移住のかたちをつくった
旅人が気に入って何泊もしたり、ゲストハウスのヘルパーになったりする
移住する気はなかったのがゲストハウスで気に入って移住することになったケースもある


【旧堅山医院】

泌尿器科の診療室だったのを古本屋に活用
住居部分はあなごのねどこのスタッフのシェアハウスなどに活用


【みはらし亭】

空き家バンクに最初からあった物件であるが、あまりの大型物件のため手をつけることができなかった

あなごのねどこの運営で宿泊ノウハウを得ることができた
あなごのねどこはシーズン中は断らないといけない日があったりと、ニーズもある

坂と路地
路地のゲストハウスはあなごのねどこができた
次は坂のゲストハウス

重い重い腰をあげてとりかかる

2013年 国の登録有形文化財

資金繰が大変だった
クラウドファンディングも活用した

職人が中心となった
春夏に二回合宿をした
あなごのねどこに泊まっている人が参加してくれることもあった
土堂小学校の児童が参加してくれた
再生に関わった人は500人

山にもたせかける懸造(かけづくり)
(清水の舞台など)

国の登録有形文化財のため外観の四分の一以上を変える場合は届出が必要

屋根が大変だった
とった方策は海側は新品、山側はふるいかわらを使った
二千枚のかわらをおろして一枚一枚洗い、状態を確認して千枚を使った

大家さんが自分で住みたい時期もあった
東京で息子さんに会ったりした

みはらし亭の再生が完了した時には空きPの仲間は素晴らしいなと思った
本当にこの物件の再生ができた!!

再生完了後にみはらし亭を発信することにおわれた

ガウディハウスとみはらし亭の共通点
いびつな形で斜面にはりついている

みはらし亭は戦後旅館になっていたために用途変更をしなくてよかった

真野洋介さんを中心に茶園(さえん)研究会を立ち上げた

*茶園(さえん:別荘建築)

学会で発表したことはない


【松翠園(しょうすいえん)大広間】

このトークイベントの会場
10年くらい前までは使われていた
大家さんもどうしたらいいかわからない

旅館部もひどいが一旦旅館部は置いて大広間の再生からはじめることにした

平地の少ない尾道には珍しい中心市街地の50畳という大空間と建築的にも贅を尽くした場所

廊下に一本ものの木が三枚使われているがどんな巨木だったのか

支輪折上(しりんおりあげ)大天井

支援者を募集中、寄付金一口が5万円

寄付された団体・個人のロゴを天井画(日本画)にして設置

60センチ角の広告216枚が天井を埋め尽くす



【感想】

当初一時間半を予定していたトークイベントですが、予定を延長して二時間となりました。
10年間の軌跡を一時間半で語るのは難しいようで、実際に話を聞いて内容の濃さからもっと時間が必要なんだろうなと思いました。

最初は豊田さん一人で始めた運動が、10年の間に空き家再生をやっていくうちに空き家再生の技術を蓄積していき仲間が増え、仲間のうちで若い方たちが力をつけていく軌跡が印象的でした。

空き家再生の際に物件の再生だけでなく、まわりの街並みとの調和をどうするか、歴史の中で積み重なってきたものをどのように扱うか、ということを考える必要があるのだな、と思いました。

空き家再生の際に合宿やワークショップなどをすることで、空きPのメンバーだけでなく地域の人達や関心のある人達を巻き込んでいった点が印象的でした。

建築に関して知らない状態で見てしまうと流してしまうことも、知識を教えてもらうといっきに面白くなるものだなと思いました。



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小さなことでも過去の自分よりも前に進めたと思えることは幸せなことだと思った話

けん玉の技で「ヨーロッパ一周」という技があります。

この技は結構長い時間練習しました。

取り掛かりから最初の成功までに一ヶ月、そこから一日一回くらい成功できるようになるまでに更に一ヶ月程度を要しました。

最近では十分くらいやっていると成功するくらいにはなっていますが、改めて考えてみると嬉しいものです。

安定してできるようになってくると、全くできずに四苦八苦している時のことを忘れてしまい、嬉しさを感じなくなってしまいがちですが、できなかった時のことを思い出すと少しずつでも上達していることが嬉しく思えます。

ネットにアップされた動画をみたりすると、みなさん上手い方ばかりで自分はまだまだということがよくわかります。

しかし、上手い人の技は素晴らしいなと思いつつも、自分の技術がまだまだなのが気にならないのは、少しずつではありますが上達していることがわかるからかなと思います。

一週間前にはできなかったことができるようになったり、できないにしても上達した手ごたえを感じることができる瞬間は至福の時間だなと思います。

けん玉に関しては急いで上達をする必要はありませんので、少しずつのペースでいいので長く楽しみたいなと思っています。

他人とは比較せずに、過去の自分よりも前に進んだことを嬉しく思えることが幸せなんだろうなと思います。



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けん玉で遊びながら「とにかくやってみる」ことの必要性を改めて感じました

今週の前半はけん玉から遠ざかっていましたが、今日はけん玉で遊んでいました。

「一回転飛行機」という技がやりたくて、その前段階の練習として「飛行機」という技のフォームの修正に取り組んでいます。

しかし、フォームの修正が思うようにいかず嫌になっていたことと、ドラムの練習パッドを叩くことの方が楽しかったことが重なり、今週の前半はけん玉から遠ざかっていました。

そういうわけで、けん玉で遊ぶことは気がのりませんでしたが、音楽をききながらダラダラと遊んでいればいいかとハードルを下げて、とりあえずけん玉を手に取るようにしました。

結果的にはハードルを下げて始めたことが良かったように思います。

遊びはじめは何も考えずにやっていましたが、音楽をききながら何度も繰り返している内に、なんとなくですがこういう風にやったらいいのでは、みたいなことを考えるようになっていました。

そこで解説動画を再度見てみると、前に見たときには気が付かなかったような動きが目につくようになっていました。

その後もトライを続けましたが、「一回転飛行機」は上手くできていないし、「飛行機」のフォームもまだまだ考えないといけない点が多くあります。

それでも前回までの「飛行機」の練習に比べると、明らかに「楽しさ」を感じることができるようになりました!!

けん玉だけでなく楽器でも仕事でも新しいことをする時には毎回感じるのですが、最初の内は説明をきいてもどこが重要なことなのかすらわからず、自分でやってみて何回も失敗をしていく内に、わかるようになる時が来るように思います。

上手いやり方を調べたりすることも大切なのですが、とにかくやってみなければ上達はおろか上達する方法すらわからないものだな、といつものように思いました。

「何か」をつかむまでの時間は正直なところあまり心地よいものではありません。

何回やっても上手くいかないし、自分のやっていることが意味があることなのかがわからなくなってきて、毎回嫌な気持ちになります。

それでもやめずにトライを続けると、何かしらつかめる時がくるものだと今回のことで改めて思いました。

あまり深刻に考えずに、「とりあえずやってみよう」といった感じで気楽にトライするのがいいのかもしれません。

そんなことをけん玉で遊びながら考えていました。



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早く寝て、部屋を片付けて、けん玉で遊んで過ごしています

今週はタイトルにあげた3つのことを重点的に取り組みました。


【1時間早く寝る】

寝る時間が遅くなりがちで基本的に睡眠が足りていない状況が続いていました。
(睡眠時間は5時間前後でした)

この状況では仕事中に反応が鈍くなりがちで、眠たくなることもあったので、今週はいつもよりも1時間早く寝ることにしました。

1時間早く寝るために何をしたかというと、諦めることを決めることでした。

今週は読書とブログを書くことを諦めて、早く布団に入ることにしました。

1時間早く寝るようになって以下のようなことを感じました。

・1時間早く寝ても眠たい

・イライラが少なくなる

・話すスピードが遅くなり、受け答えの際に以前よりもよく考えるようになった

1時間早く寝ても眠たい時はあったので、もう少し睡眠時間が必要なのかもしれません。

しかし、以前よりもイライラすることが少なくなり、受け答えも以前の反応するような感じから考えて対応することができたので、早く寝ることの効果を感じました。


【給与明細の整理】

長いことやろうと思いながら手付かずだった部屋の整理に手をつけました。

テーブルの上を片付けようと考えた際、給与明細が未整理で散らかっていたので、それから手を付けるようにしました。

調べてみると、給与明細は処分しない方がいいようなことを書いてある記事がありましたので、エクセルに転記した上でファイリングするようにしました。

エクセルに転記してはじめて、どの名称でどれだけ天引きされているかを意識するようになりました。

どういう基準で金額が決まっているか、どのような用途に用いられるのかが気になるようになったので少しずつ調べようと思いました。

部屋の整理ではじめたことなのですが、思わぬ副産物があったようです。


【けん玉(飛行機)】

今週は「飛行機」という技を中心に練習しました。

「飛行機」はけん玉を始めた頃に覚えた技なのですが、「一回転飛行機」になると全くできずに諦めていました。

久しぶり「一回転飛行機」に挑戦したくなり動画を調べていたところ、「飛行機」は「親指でけんをねじる」ことがコツということを説明した動画を見つけました。

「飛行機」はできるといえばできるのですが、できるときはマグレでできているようなところがあり、悩んでいました。

そんな時に「親指でけんをねじる」ことが必要であることを知りましたので、「一回転飛行機」は保留して「飛行機」のフォーム修正から取り組むようにしました。

しかし、なかなかコツがつかめずに苦労しています。

とは言うもの、あんまりすんなり出来るようになってもつまらないので、ゆっくりと練習しようと思います。


【今週のまとめと来週やりたいこと】

・あれもこれもしようとするのでなく、やることとやらないことを決めて動いたのがよかったと思います。

スマホをさわっている時間が長いので、来週からはもう少し減らしたいです。

・朝の時間がバタバタしてしまうので、あと10分早く出発できるようにしたいです



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休日にダラダラと過ごすことに罪悪感がありますが、休むことは大切だと感じた一日

今日は久しぶりに予定がありませんでしたので、掃除を軽くしただけで後はダラダラと過ごしていました。

せっかくの休日なのにもったいないかなとも思いましたが、9月頃からいろいろと動きまわっていて若干ばて気味な感じもあったので、思い切って何もしないことにしました。

正直に言いますと、今日は何もやる気がおこらなかったというのが本当のところなのですが、一日中ダラダラと過ごした甲斐があって、今は元気になっている気がします。

休息は大事ですね。


今週は前半はドラム熱が発生しており、けん玉から離れていました。

その分をドラムの練習にあてていたのですが、練習を増やすとなんともいえない嫌な気分になってしまいストップしました。

ドラムに関しては完全に離れてもダメなのですが、距離が近づきすぎてもダメなので、バランスを取るのが難しいです。

「上達したい」という気持ちが出すぎてしまうのかなぁ?

週に一回くらいの練習で、上手くなろうとせず練習パッドを叩くことそのものが楽しい、程度にコントロールすることが必要だなと思います。

仕事でも趣味でもすぐに熱くなってしまう傾向があるので、ちょうどいい程度におさえることは難しいものです。


週の後半からはけん玉に戻りました。

今は「宇宙一周」という技にチャレンジしています。

けん先のせ→けん先や、けん先→小皿→けん先のように部分を取り出して練習しています。

しかし、けん先のせ→けん先→小皿→けん先の流れが難しくて全く上手くいきません。

この辺りの練習が嫌になると「ヨーロッパ一周」をするのが最近の定番になっています。

この10日間くらいで「ヨーロッパ一周」は一日で一回くらいは上手くできるようになったので、とても嬉しいです。

少しずつではありますが、上達しているようです。

「宇宙一周」の方はまだまだ時間がかかりそうですが、焦る理由もないのでのんびりと楽しめる程度で遊んでいこうと思っています。

そもそもけん玉は長く遊びたいという気持ちが強いので、あまり早く上達しても困るというのが正直なところです。


仕事でも遊びでも、いかに無理をせずに長く続けるかが自分にとっては大事なことになっています。

今日みたいに一日中ダラダラするのはもったい気持ちにもなるのですが、空白を作るということも大切なことだと思います。

あまり急いで途中で嫌になったり燃えつきたりしないように、休みをいれながら自分のペースで進んでいきたいな、と思います。



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