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~に刺激[触発]される / 【働き方】【在り方】【音楽】【読書】【散歩】がテーマのブログです

言葉と遊ぶことについて考えてみたこと

先日読んだ『探偵AIのリアル・ディープラーニング』という作品にこのような一節があります。

(言葉に苛まれている悩みに対して)


その解答とは、言葉と友達になることです。友達はあなたを傷付けません。ではどうすれば言葉と友達になれるのか。あなたは人間の友達と何をしますか。そう、一緒に遊びますよね。それと同じで、言葉と遊びなさい、戯れなさい。言葉遊び、戯言が、あなたと言葉の仲を深めてくれます。そしてひとたび言葉が友達になれば、それはあなたを傷付ける武器ではなく、あなたを守る盾になってくれることでしょう。(P143より)

 

 

この一節を読んだ後、ビートルズの『I Am The Walrus』を聴きたくなりました。


「韻を踏む」ことや「ダジャレ」などの面白さがあまりわからなかったのですが、この一節を読むことでなんとなく理解できる気がしました。


言葉は放っておくと意味が固定化してしまい、それが自分を傷付ける言葉である場合強く固定化された言葉が一日中頭の中をグルグル巡ってしまうことすらあります。


例にあげた「韻を踏む」ことや「ダジャレ」は言葉を意味から引き離し、音声に分解・再構築しその面白さを楽しむものだと思います。


マインドマップでは言葉を文章として扱わず単語として扱うことで言葉をイメージとして扱い、固定化された文章から解放し別の単語との結びつきを模索して、新たな結びつきの可能性につなげます。


ビートルズの『I Am The Walrus』も意味不明な歌詞で構成された曲です。

 

 

人間はこういう言葉で遊ぶことを通して言葉を固定化された意味から解放し、言葉と仲良くなることで言葉を自分を守るものにしていったのかなと、そのようなことを考えました。